気まぐれ日記 06年9月
06年8月はここ
9月1日(金)「『ラランデの星』の宣伝・・・の風さん」
月があらたまり、近隣の早いところでは稲の刈り入れも始まっている。『ラランデの星』の刈り入れは、どうだろうか。
依然として勤務先での売れ行きは好調である。今日は、なくなりかけている本社へ午前中4冊持って行って補充した。製作所の方も、昨日と今日1冊ずつ売れて、在庫がなくなった。友人に届けてもらったので、アメリカの拠点にいる元部下からも、お礼のメールが届いた。
社外への宣伝活動もほぼ順調で、年内に色々な紙面で『ラランデの星』が紹介されるはずだ。
これだけ宣伝活動を頑張っているのは、過去に例がない。それだけ、多くの人の目に触れて、正当な評価を得たいと考えているからだ。宝くじは買わなければ当たらない。膨大な図書が出版されている中で、目に留まらなければ、本は読まれないのだ。
9月2日(土)「愛知淑徳大学での講演報告書が完成の巻」
8月8日に愛知淑徳大学で講演した内容を、やっと報告書にまとめた。取り掛かれば早いのだが、なかなか時間を割けなかった。
8月19日の駒場での講演も原稿化しなければならない。こちらの方は、後日、日本数学協会の機関紙「数学文化」に掲載されるので、きっちりとした内容に仕上げなければならない。少し時間がかかるし、編集の方と相談も必要である。いずれにしても、早急に仕上げたい。
今日は、取り組み中の長編のプロットの手直しを久しぶりにやったが、今ひとつアイデアが浮かばず、まるで進まなかった。
その代わり、身辺整理がいくらか進んだ(笑)。
9月3日(日)「『高熱隧道』の迫力ある描写に学ぶ・・・の風さん」
まるで真夏のような青空が広がった一日だった。
吉村昭さんの『高熱隧道(こうねつずいどう)』(新潮文庫 第45刷)を読み終わった。
すごい迫力の作品だった。そもそも熊井啓監督の『黒部の太陽』を懐かしく読んだところから、どうしても原作を読みたくなって、木本正次さんの『黒部の太陽』を取り寄せて読んだ。淡い記憶で、木本正次さんが新鷹会の作家だったような気がしていたが、確かにそうだった。あとがきに「紙碑」という言葉が出てきて、大いに共鳴した。黒四ダム建設を題材にした『黒部の太陽』は、確かに力作ではあるが、熊井啓監督の映画の方が原作を超えた文芸作品になっていることを確認できた。
そうこうするうちに、『黒部の太陽』にも出てくる黒三ダム建設の激しさを題材にした、吉村昭さんの『高熱隧道』を知り、読み比べることにした。技師と人夫の立場の違いと人の命の重さをテーマにした作品で、綿密な取材と迫力ある描写に基づく、すごい作品だった。終始テーマから脱線することなく、たたみかけるような作品展開も参考になった。
人間描写だけでなく風景や物の動き(峻険な山々、吹雪、坑道内事故の悲惨な様子)など、描写の点で学ぶべき点が多く、やはり私は吉村昭さんのような作家を目指していくべきではないかと思った。
9月4日(月)「『怒濤逆巻くも』がピンチ・・・の風さん」
先週の火曜日に啓祐堂で聞いた話が、実は深刻な事件だった。啓祐堂のご主人によると3年前に出版した『怒濤逆巻くも』が、ゾッキ本として出回っているという。ゾッキ本とは、新品にもかかわらず、出版社が捨て値で古書店の流通ルートに流した本のことを言う。最初から古本なのだから、こんな本が出回った日にゃ、一般の書店は商売あがったりだ。さらに古書店でも、それらの本の値崩れが起きる。
実際は、新人物往来社がそんな処理をしたことはなく、実態は調査中である。
ただ、今回の事実確認の過程で、『怒濤逆巻くも』が在庫整理の対象となり、600冊も断裁処分になったことを知った。とんでもない話である。株式会社が自社株を処分して株価を吊り上げるのとわけが違う。絶版寸前の扱いである。『怒濤逆巻くも』は文化遺産としても価値ある作品で、長谷川伸先生が残した言葉「紙碑」に匹敵すると私は思っている。絶版にするわけにはいかない。2010年には、遣米使節が派遣されて150年になる。記念イベントだってきっとあるに違いない。
そこで私は、咸臨丸子孫の会、小野友五郎の出身地茨城県笠間市の有力者、小栗上野介ゆかりの東善寺の住職へ、拙著が絶版にならないように協力してもらえるように訴えた。今から少なくとも半年、あるいはそれ以上、頑張らねばならない。
9月5日(火)「感謝、感謝・・・の風さん」
早速、『怒濤逆巻くも』絶版・断裁阻止のために協力していただけるという、うれしい返信が次々に届いた。咸臨丸子孫の会では、私の講演を売り込んでくださるそうだ。笠間市で小野友五郎顕彰活動をされている有力者からも、ぜひ力を貸しましょうとのことだった。そして、東善寺のホームページでは、小栗上野介関連出版物の中に、『怒濤逆巻くも』を加えるとともに、雨宮由希夫さんの書評とリンクまでしてくれた。ありがたい。あとは、私の努力次第である。
帰宅して、やっと朝刊をチェックしたら、文芸評論家の清水信(しみずしん)先生が、「中部の文芸」の中で、『ラランデの星』について迫力十分の評伝小説と書いてくれていた。ありがたい。
9月6日(水)「執念のPR・・・の風さん」
出版社ももちろんやってくれることだけど、今回の『ラランデの星』に関しては、著者自らPR活動を展開している。お目にかかったことのない先生へも作品をお送りしている。そうしたら、先日、その先生からご丁寧な手紙が来て、学会でも紹介してくださったし、某雑誌に書評の原稿を書いて送ったという。何ともありがたい話で、恐縮もしてしまう。今日、その先生とのメール交換も成功した。こういう縁は大切にしなければ・・・。
帰宅したら、仏教関係の雑誌へ出したエッセイの初校ゲラが届いていた。ゲラを見て思わず笑ってしまった。心に残るエッセイの中でも、ちゃっかり『ラランデの星』を宣伝していた。この執念はどこからきたのだろう。もともと、そういう性格だったのか。すぐ修正作業に着手したら、けっこう直すところがたくさん生じてしまった。
9月8日(金)「魔物にとりつかれた風さんの巻」
昨日は某大学の先生とお会いして、今後の人生設計などについて相談した。私の考えをじっくり聞いてくれた上で、全面的に協力しましょう、と言っていただいた。いつも思うことだが、いくつ(何歳)になって、先生というのはありがたい存在だし、誰でもそういった「師」をもつべきだと思う。ある専門分野で(学問には限らないが)深く深く研究した方は、必ずしてもその専門だけのアドバイザー、コンサルタントではなく、一つの道を極めようとするとき、あるいは人生のさまざまな悩みにぶつかったとき、親身になって話を聞いてくれ、貴重な示唆をしていただける。
そんな成果のあった夜、突如として不幸が訪れた。
コンピュータートラブルである。今回は、電子メールの送受信に関する問題。
日本推理作家協会の今年の7月号の会報に書いた『私の魔物はパソコン、性別は♀(?)』の再現となった。
ケータイで事前にチェックしてあるプロバイダ受信メールが、ツーイー(執筆マシン)でダウンロードできないのである。ツーイーに特に何か変化与えたという自覚はない。試しにアシュレイ(モバイルパソコン)で試みたが、こちらも駄目である。自宅で契約しているケーブルテレビのネットの問題の可能性が濃厚だが、力ずくで解決したくなるのが、技術屋の傲慢だろう。でも、仕方ない。私の魔物なのだから。
再起動、システムの復元、ファイアーウォールの無効化、セキュリティソフトの完全削除まで試みた。
・・・しかし、駄目。
結局、プロバイダーの技術相談窓口へ、状況を入力し、助言を待つことにした。一方、一時避難ということで、プロバイダーへ届く電子メールをすべて受信可能な別のアドレスに転送設定した。
夜が明けて、朝の早い長女が起きた気配がしてきた。
まるで徹夜のマージャン明けのような背中と腰の張りを覚えながら、這うようにしてベッドへ倒れ込んだ。
9月9日(土)「何と言っても体力だよね・・・の風さん」
昨日は二十四節気の白露にあたった。本当にもう秋なのである。それなのに私は、家では上がランニングのタンクトップで、下は半ズボンなんぞをまだ穿いている。
今年4回目の筋トレに行って来た。自転車漕ぎで数値をチェックすると、心肺機能はピーク時の55%に落ちている。ウェイトトレーニングのウェイトもワンランクずつ落としてゆっくりと取り組んでいる。それでもきつい。何をやるにしても体力が基本なので、もっと真剣にトレーニングの時間を作らねば。
地元のケーブルテレビのネット窓口へ相談したところ、一昨日来のトラブルと同じトラブルが、他からも届けられているとのこと。ちょうど一昨日、ケーブルテレビのネットはメインテナンスを実施している。それが関係している可能性が浮上してきた。しかし、今日は、担当者がいなくて対応は月曜日以降になるとのこと。急遽設定したWEBメールを当面使用するしかない。
今日は、シルバーさんに来てもらって、購入した隣の土地の草を刈ってもらった。駐車場用に整地するための手配をしている余裕がまだない。早くしないと新年がやってくるぞ。
夜になって、サンルームでアシュレイを使って仕事をしていたら、ガラスの屋根に露が降りているのに気付いた。ぼんやりしていると、やはり秋は音もなく訪れてくるのだ。
9月10日(日)「新作に取り組み中・・・の風さん」
昨日のトレーニングの疲れがあまり感じられない。真剣にやらなかったのかな。
今日、やっと新作のプロットの修正作業に集中して取り組んだ・・・じゃなくって、取り組もうとした。書斎にいるとついつい雑用に走ったり、調べ物に夢中になってしまい、あっという間に時間が経過してしまうので、最初から、階下でスタートした。基本的な道具はパソコンと電子辞書だけである。・・・ところが、そうは問屋が簡単には卸してくれなかった。モバイルパソコンのアシュレイは無線LANでネット接続できるのだ。ちょっと調べたくなると、すぐにネットサーフィンができる。重要な登場人物の旗本の家系について調べ出したら、情報が芋づる式に引っ掛かってくる。
ほとんど調査が終わっていたつもりなのに、重大な見落としがあることに気が付いた。物語の展開と密接なつながりがあるので、収穫といえば収穫である。これで、荒唐無稽なストーリーから、もう少しシリアスな物語に進化させられそうだ。
今週は出張が多いので、次の週末が勝負だな。
地元のケーブルテレビからは、やはり連絡はなかった。明日で解決の方向性が見出せるだろうか。
9月11日(月)「国際数学者会議・・・の風さん」
久しぶりに天王洲アイルの「Net Rush」スタジオを訪れた。
ドアホンを鳴らしたら、真咲なおこさんではない女性がドアを開けてくれたので、少しうろたえた(笑)。
中に入ると、真咲なおこさんはもちろんいたが、今夜の収録スタッフは、若い女性が3人である。一人はおなじみの藤嶋宣子さん、初登場は小宮しずかさんとアルバイトの女性だった。
「SKJ(She Knows Journal)はスタッフから男性を排除する方針なのですね」とすねてみせる。
「そ、そんなことありませーん」
真咲なおこさんは否定したが、会社名がSKJであってHKJ(He Knows ・・・)でないのだから、大いに怪しい。
今夜のエグゼブティブ名鑑収録は、京都大学の上野健爾先生のICM(International Congress of Mathematicians)報告で、一般人には想像もつかない4年に1度の数学者の国際会議の様子を分かりやすく解説してもらえた。
圧巻は、京都大学名誉教授である伊藤清先生が第1回ガウス賞を受賞されたニュースである。60年前の純粋数学の研究が、現在は多方面で応用されていることが評価された。とにかく第1回を日本人が受賞されたということは大きい。
また、こういった国際会議に日本人彫刻家牛尾啓三氏が招かれて、独自の作品を披露していたことも興味深かった。
私は、また来週ここを訪れて、2006年度日本数学会出版賞受賞や『ラランデの星』の執筆エピソードを語る予定である。
9月12日(火)「また書評が出たよ・・・の風さん」
10日の産経新聞に『ラランデの星』の書評が掲載された。このことはすぐ出版社へ連絡したが、今日掲載紙が届いたので、記事を読むことができた。年内にかなり多くの書評が出る予定なので、まだまだ楽しみである。
地元のケーブルテレビのネットは、月曜から水曜まで3日連続で深夜メンテナンスを敢行することにしたらしい。私のような苦情が殺到しているに違いない。明日には元に戻って欲しい。
アクセスカウンターの増加が今年は早い。年末までに80000までいけば、と思っていたのが、もう突破してしまった。
9月13日(水)「長男の漫画を感性で読みとろうとした翌日は・・・の風さん」
昨夜、午前1時くらいにやっと階下へ降りることができた。たまっていた雑用の処理で、また手間どって遅くなってしまった。これからリキュール(デンキブラン)でも飲みながら、ヨーロッパ旅行のパンフレットでも眺めようかと思っていたら、長男が新作の漫画を読んでもらいたそうな顔をして待っていた。
仕方なく読み出した。仕方なくてもこちらは真剣である。絵の細部にまで目を凝らして、全身で受け止めようとした。感性全開である。
・・・が、こちらの感性に響かなかった。前作ほどのインパクトを感じなかった。前作は講談社へ送ったらしいが、そのまま返却された。京大の上野先生の研究室の学生が来年講談社に就職するらしいから、何とかしてもらうか・・・んなバカな。
ふと見ると、こちらが読み終わるのを待ちくたびれた長男は、爆睡状態だった。さもありなん。
というわけで、昨夜は睡眠時間が5時間もなかった。睡眠不足に風さんは弱い。
今日は、1日中頭が重かった(が、帰宅したら、ケーブルテレビからお詫びメールが届いていて、ネット接続不具合が解決していた。1週間近い頭痛の種が一つ消えた)。
9月15日(金)「超過密スケジュール・・・の風さん」
午後を有休にして、出張先(昨日は、移動時間を利用して関西将棋会館を訪れ、これまで何度か出かけても果たせなかった、将棋博物館の見学ができた)から上京した。心配された天気はもっている。
先ず、産経新聞東京本社を訪れて、知人と情報交換した。
それから地下鉄で移動し、定例の勉強会に出席した。会が始まる前に、平岩弓枝先生から『ラランデの星』の改善すべき点を指導していただいた。『算聖伝』のときに指導していただいたことは、その後、しっかり守っている。今回指導されたことも、これから堅く守るつもりだ。
勉強会には短編が5本も集まったが、時間の関係で3本しか読まれなかった。しかし、平岩先生の具体的で容赦のない指導に、震え上がったけれども骨身にしみる勉強になった。何か面白そうな題材を発見しても、深く深く突き詰めていかなければ、本当のドラマも書けないし、小説にもならないということだ。この注意点は、私自身の注意点でもある。
勉強会が終わってすぐ銀座へ向かい、ホテルにチェックイン後、関西割烹料理の店へ行った(先客で作曲家の小林亜星さんがいたので、別の階に席を移動した)。ここで私のサポーターの一人として大変お世話になっている方と会食した。最初にお会いしてから2年8ヶ月ほどの間に、3回くらいしかお会いしていない。先日の駒場での講演にも聴講に来ていただいたので、サービスのつもりで作家としての内情をたくさん話した。
10時近くなっていたが、そこから貴族へ案内して、友人らを紹介した。貴族でも話が盛り上がり、ようやく12時45分頃お開きにした。
サポーターの方をお見送りした後、友人(高校の同級生)とコージーコーナーへ行き、いいおとな二人でケーキセットを食べながら、午前2時近くまで雑談した。
ホテルに戻ったときは、頭痛で頭が割れそうだった。
9月16日(土)「営業もする小説家・・・の風さん」
寝不足と疲労で爆睡するかと思ったら、意外と何度も目が覚めて、たっぷり寝て気がしない。
今日のお昼はある人とランチを一緒にする予定だったが、都合が悪くなったのでキャンセル。その代わり、一人でハンバーガーをかじりながら読みかけの本を読んだ。昨日は、吉村昭さんの『戦艦武蔵』を読み終え、今日もある文庫の最終部分に入っている。作家としては死ぬほど読んで勉強しなければならないのだが、読むにも体力が必要だ。移動中は疲労もあって、ついつい睡眠補充になってしまう。
午後から、高輪の啓祐堂へ行き、売れ残りの本を受け取り、そのまま近くのギャラリーオキュルスへ持参して、そこでの委託販売をお願いした。そうして、『ラランデの星』の執筆裏話などをしている間に、お客の出入りがあって、その方にもしっかり説明してさしあげると、非常に興味をもってくださり、見事に1冊売れた(笑)。
そこから品川駅まで歩いて、新幹線と名鉄特急を乗り継いで、夕食前に帰宅することができた。
9月17日(日)「季節の変わり目は仕事の再開時期・・・の風さん」
朝から長編のプロットの修正作業を再開。何とか連休明けに提出しないと。
台風13号の影響で空は雲が次第に増えてきている。
雨にならないうちに、夕方、筋トレに出かけた。今回もリハビリ・モードだ。それでも、少しずつ元気が復活してきている感じはする。しかし、自転車漕ぎを終えたら、前回と数値はほとんど変わらなかった。とにかく続けなければ。
帰宅して車庫にミッシェルを入れて、クルマから降りたら、幼児の手の平くらいありそうな蜘蛛が足元を走り去った。ひぇっ!
書斎から中断している知人の自費出版について、電話で相談した。これもそろそろ再開しなければならない。
夕食時間になる頃から雨が降り出した。
もう夏ではない。
9月18日(月)「迷惑メールが減ったよ・・・の風さん」
電子メールのダウンロードが突然できなくなって先週は苦しんだ。そのとき、セキュリティソフトを削除するという大胆な手法も試みたが、効果はなかった。結局、地元のケーブルテレビのネットのメンテナンス時の不具合が原因で、それは解決したのだが、削除したセキュリティソフトの復元がまだできていない。
そのとき、試みたことで、良い副産物となったのがWEBメールである。プロバイダーのサーバーの中で使うメールソフトなのだが、迷惑メールの削除機能があり、自分のパソコンでダウンロードする前に、サーバー上で削除されるので、無駄なメールをダウンロードするロスが大幅に減った。自分のパソコンではメールソフトでダウンロードする前にあるフリーのセキュリティソフトで迷惑メールを自動選別できるので、ダブルで効果がある。削除してしまったセキュリティソフトが復元できれば、それでもSPAMメールを削除できるので、間違いのないメールから順にチェックできるので、かなり効率的になるはずだ。
迷惑メールといえば、最近気付いたことがある。ケータイに毎日1通程度来ていた迷惑メールがぴたりと来なくなったのである。
迷惑メールが減ると、メールの便利さをあらためて感じる。
9月19日(火)「エグゼブティブ名鑑に出演・・・の風さん」
昨日帰宅したら玄関でワイフが三つ指ついて迎えてくれた。
「ご主人様。お帰りなされませ」
まるで時代劇だ(笑)。
実際はこんなではなく、ただやけに丁寧な出迎え方だった。それは、ワイフがようやく『ラランデの星』を半分以上読んでくれたからで、どうやら感動しているらしい。数年に一度小説家の亭主が見直される場面である。いったいどこが良かったのか、詳細に聞いてみて、ふーん、と思った。女性をそこで感動させるつもりではなかったのだが・・・。
先週約束したとおり、天王洲アイルのスタジオで「Net Rush」のエグゼブティブ名鑑に出演した。そこへ向かう電車の中で、ワイフからのメールを受信した。『ラランデの星』の終章で泣けた、という。初期の生原稿で読んでいて、物語全体を把握しているはずなのに泣けたらしい。
スタジオに着くと、早速真咲なおこさんが『ラランデの星』の感想を次々に話してくれた。
「ええ! そこって、ワイフが感動したところと同じじゃない?」
既に公表された書評を読んでいたにもかかわらず、終章で泣けたという。本を読んで泣いたのは久しぶりだと言ってくれた。
エグゼブティブ名鑑では、『ラランデの星』の執筆の動機と内容について紹介させてもらった。興味を持って読んでくれる人が出てくれたらうれしい。
真咲なおこさんとワイフの二人が、全く同じ部分で感動し、しかも終章で泣けた、というのは大変なことである。
女性に支持される作品を書けるようにならないとプロの作家とは言えない。だから、それも目標に取り組んできた。父と息子の関係を中心にした作品で、女性に感動を与えることができたということは、性別をこえた普遍的なものをそこに表現できたのだろう。
9月21日(木)「こち亀・・・の風さん」
昨夜は疲労のために書斎でうたた寝してしまった。午前1時半に目が覚めてビックリ。階下へ降りようと、ドアを開けたら目の前を茶色のチビゴキが走って行った。夢ではない。「くそ!」と呟きながら武器を探したが(スリッパみたいなヤツのこと)、見つからない。そうこうしているうちに、2階で猫が寝るクッションの下に隠れてしまった。急がねば。
止むを得ず、ゴキジェットを携えて出撃。クッションをどけてみると、チビゴキが出てきて、すぐ横で寝ている猫のシルバーの足元を走り抜けて階段へ向かったので、慎重に狙って噴射。階段を1段ころげ落ちたところを止めの噴射。・・・仕留めた。
この大活劇の間もシルバーは「どこ吹く風」といった顔をしていた。ペコなら一緒に追跡するのだが。
昨夜はうたた寝する前に、執筆マシンのセキュリティソフトを復活させることができ、今月7日の夜のネットトラブル以来引きずっていたパソコンの不調から完全に元通りになっていた。寝てしまったのは、その安堵感があったせいかもしれない。
今日帰宅したら、待望の年賀状ソフトのグレードアップ品が届いていた。慌ててインストールすると、またどんなトラブルに巻き込まれるか分からないので、しばらく待って、気分が落ち着いているときにトライしよう。
ついでに、注文した本も届いていた。限りなく本を買う風さんである(笑)。
新聞に秋本治さんの記事が出ていた。私の大好きな『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者である。連載30年になるのだそうだ。彼が山止たつひこのペンネームで登場して以来、私は完璧にはまっている。新刊は第151巻。もう通算で1億冊以上売れたそうだ(当然だろう)。特別に『超こち亀』という本が出ているとのことだったので、性懲りもなく買うためにネット検索してみたら、bk−1では「お取り扱いしておりません」だって! ちぇ。欲しいよう。
9月22日(金)「国旗国歌違憲判決に思う・・・の風さん」
「東北大学生新聞」が届いた。後輩のお陰で、『ラランデの星』が東北大人の本のコーナー(つまり書評欄)で紹介されていた。
さて、昨日の続き・・・。昨日の新聞には、「東京地方裁判所が、国旗国歌の学校強制に違憲判決」という記事が出ていた。
歴史小説家として、物事を多面的にとらえて分析し、真実をあぶりだそうとしている私としては、こういう判決や記事が出ると、どうしてもひと言言いたくなる。こういった記事というか判決には、人の心理を惑わすトリックが含まれている。
先ず、裁判所の使命を考えてみよう。裁判とは、法律を基にして、違法かどうかの判断を下すことである。その場合、法律の是非は問題にしていない。判決が正当なものだとすれば、それは確かに現行の法律に違反しているのである。
次に、判決内容を見てみると、国旗国歌のことを思想や良心の問題としている。国が法律で決めた国旗国歌をなぜ思想や良心の問題としているのか私は首を傾げてしまう。つまり国旗国歌の制定そのものが憲法違反だと指摘しているのだ。たとえとしては極端かもしれないが、日本に生まれたこと、自分のご先祖さまが確かに存在したこと、そういったものを否定する権利があると言っていることと同じではないだろうか。
裁判所の判決も、私の認識も共に正しいとした場合、これはどういうことになるか?
答えは簡単である。拠り所となっている憲法が間違っているのだ。
国が違えば法律は異なる。自動車の通行が右側の国もあれば左側の国もある。死刑を認めている国もあれば、認めていない国もある。一夫多妻を認めている国もある。公娼の存在する国もある。憲法だってさまざま存在するだろう。
9月23日(土)「秋分の日・・・の風さん」
秋分の日。日が短くなるのは嫌いだけど、気候はこれからが一年で一番好き。
復活した筋トレに行ってきた。7月が1回、8月が2回、9月は今日で3回目だ。少なくとも週に1回は行かないと。
落としていたウェイトを戻してみた。ラットプルダウンもレッグプレスも猛烈にきつく感じられた。やはり筋肉が落ちているのだ。1年前に戻るだろうか。自転車漕ぎの心肺能力も、依然としてピーク時の半分程度である。
親友のOmO教授からメールが届いた。「コロラド便り」だって!
風様
今、学会でデンバー。明日帰国。
写真はGarden of the God とか呼ばれている奇岩地帯です。
今にも倒れそうな岩で、ちょっと押してみてホントに倒れたら新聞沙汰だなとびびりました。
今さらですがこの辺には日本にはあり得ないような地形がいっぱいです。
デンバーの周辺のロッキー山脈はいわばアメリカの屋根、分水嶺になっていてこの峰のこっち側は太平洋に、あっち側は大西洋に向かって水が流れますということだそうです。日本海と太平洋に流れ分かれるのより少々スケールがでかいね。
バッファローステーキというのも食べたけどぱさぱさだった。
OmO
ステーキの食べ過ぎで太ったみたいだね、と返信したら、目の錯覚だろうと言い返してきた。
9月24日(日)「やっと修正プロットを送信・・・の風さん」
これまで出た和算小説に関しては、すべて把握している、と思い込んでいたが、最近になって新たな発見があった。新田次郎の短編2本の次に古い短編小説で、浅田晃彦の「乾坤独算民」である。雑誌『小説と詩と評論』昭和43年(1968)11月号に発表されたものである。驚くべきことに、第60回直木賞候補になった作品である。
愛知県図書館にある『ふるさと文学館』第11巻群馬に所収されていることが分かったので、地元の図書館に相互貸借制度を利用して借りてもらった。これから読んでみるが、なかなかの力作のようである。
実は、せっかく借りてきた上記の本が読めなかったのは、某社向けの長編『魔方陣』(仮題)の修正プロットに取り組んでいたからで、何とか午前零時の日付変更線前にメール送信することができた。図入りでA4サイズ22ページというものだ。プロットは大袈裟だが、内容はなるべく読みやすいものにするつもりだ。
9月26日(火)「信じられないような本当の話・・・の風さん」
3年前の『怒濤逆巻くも』のときにあった幸運が再び巡ってきた。
私がデンソーに勤務していることは公然の事実である。執筆にとっては非常に厳しい環境であるが、作品を発表することに関しては、とても恵まれた環境にいると言える。出版するたびに社内トップから同僚、後輩にいたるまで祝福してくれるからである。これは、「Net Rush」でも話したとおり。
3年目と同じ幸運が、今回の『ラランデの星』にも与えられた。デンソーの営業部門のトップの好意で、最大のお客様であるトヨタ自動車の役員へ、拙著が配られるのである。
今日、出版社から届けられた本に、サインをすると共に、トップへお礼の挨拶をしてきた。
まるで社内公認小説家みたいだ。信じられない話だろうが、これは本当のことである。
9月27日(水)「まだ東軍にこだわっている風さんの巻」
来月14日(土)、会津若松市で第15回戊辰役東軍殉難者慰霊祭が開催されるので、出席することにした。『怒濤逆巻くも』を書いた関係で、どうしても幕末の徳川幕府側には、格別の思い入れがある。現地で、咸臨丸子孫の会の人と合流する。また、『ラランデの星』を書いた関係で、会場となる天寧寺の近くにある会津日新館天文台跡を見学する目的もある。
事前にエントリー予約を入れる必要があるかと思い、事務局へ電話したところ、現地で手続きすればよいとのことだった。事務局の方とは旧知の間柄である。
9月28日(木)「淡々として悩みは深し・・・の風さん」
中断しているMさんの自費出版のお手伝いについて、少しでも前進させるため、Mさんと一緒に出版社を訪ねた。出版の主旨については、もちろん出版社も商売であるから、内容含めて反対はしない。しかし、新鷹会の承認が得られないまま終わる心配もあるため、とにかく「校了」までは仕事を進め、その時点で先の目処が立っていなかったら、いったん清算しましょう、ということになった。Mさんの校正ゲラを渡して別れた。
日曜日に電子メール送信した長編プロットについて、編集者と相談した。当初、奇想天外な物語だったものを、次第にまっとうな歴史小説へ近づけてきたのだが、まだ残っているケレン味を完全にとってほしいということだった。こうなると、いよいよ本格的な歴史小説である。それはそれで歓迎すべきことなのだが、本格的な歴史小説となると、こちらとしてはどうしても単行本で出したい。ところが、先方は、売りやすい文庫書き下ろしを求めているのだ。ジレンマはよりきつくなっていく。
9月29日(金)「*(牛偏に建)陀多(かんだた)・・・の風さん」
ゆっくり湯船に浸かろうと浴槽の蓋を開けたら、小さな蜘蛛が浮かんでいた。41℃設定の風呂は既に沸いている。急いで桶ですくって湯を捨てて、蜘蛛を台の上に落とした。
じっと眺めると生きているような気がした。
しばらく待っていたら、かすかに動いた。
生きていたのである。
少しうれしくなった。
温まって体を洗い終えてから、蜘蛛をスポンジの上にすくいとって窓から逃がした。
元気良く走り去った。
久しぶりに芥川龍之介の『蜘蛛の糸』の*(牛偏に建)陀多(かんだた)になった気分である。
9月30日(土)「美術館「無言館」の話・・・の風さん」
今朝未明にかけて窪島誠一郎さんの『うつくしむくらし』(文屋文庫)を読み終えた。窪島さんは長野県上田市で二つの美術館を経営されている。「信濃デッサン館」と「無言館」である。「無言館」は東京美術学校(現東京芸大)在学中に出征して帰らなかった画学生の絵を97年から展示している。戦後61年目に入って、自らの人生と美術館経営を通じて感じていることを本にしているのだが、心に響く内容がいくつもあった。
第一は、この本の中で紹介している戦没画学生の絵である。学生時代の作品なので技巧的には未熟な点が多いらしいが、作者の絵と取り組む姿勢がこちらに伝わってきて圧倒される。出征まで間がないときに、どうしても描きたい絵と取り組んでいる姿である。人物画であれ風景画であれ、それは動かしがたい事実である。たとえば作者にとって最も描きたい家族であったり恋人なのである。
第二は、著者が指摘する言葉。「絵画を鑑賞に出かけるのは、結局、その絵画を見に行くのではなく、絵画に向かう自分自身を見つめることだ」というもの。確かに絵画から受ける印象や感動は、観る人だけのものだろう。解説書を読んだり、横からあれこれ意見を言われれば、そんなものかな、とつい思ってしまうが、先入観なしで絵と向き合ったとき、それを理解するよすがは、自らの感性や人生観しかないわけだ。だから、著者は、「無言館」に展示された戦没画学生の絵を観たとき、「戦争反対」とか「可哀そう」といった感情以上の何か(本当に大切なもの)をそこに発見できるはずだと言うのである。
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